高校の共学化問題

教室内のピアノの上に、七夕飾りが完成しました。寺子屋園児は、それぞれ短冊に願い事が書かれています。3人の園児は、自分で文字を書いていました。それぞれ、子どもたちが自分で考えた願い事ですので、大切な内容ですが、いくつか紹介します。「お金持ちになりたい」「野球選手になりたい」「お花の妖精になりたい」・・・どうですか、妖精以外は、努力次第で、本当になれますね。

 

さて、今埼玉県では、県立高校の共学化問題が起きています。発端は、県民から寄せられた1件の苦情です。「埼玉県の男子校が女子の入学を拒んでいるのは不適切で、認められるべきだ」とう内容です。具体的には、浦和高校に入学して、東京大学を目指したいのに、女子では入学できないという内容です。これを受けて、県の第三者機関である「男女共同参画苦情処理委員会」は、「早期の共学化」を勧告しました。埼玉県教育委員会は、8月末までに、委員会への報告を求められているのです。もちろん、県立の男子高、女子高の役割や歴史的背景を考えると、どちらかというと、共学化反対の意見の方が多いようです。

 

全国には、私立の男子高・女子高はたくさんあります。私も男子高出身です。ところが、県立(公立)で、男女が分かれる高校は、埼玉県の12校を筆頭に、群馬県・栃木県・千葉県・鹿児島県の5県だけだそうです。東京の都立高校で男女別学はありません。

 

第三者機関は、「共学化すれば男女共同参画が進む」という考えですが、これには、私も?ですね。別学でも共学でも、本当に求められるのは、ジャンダーの「公平さ」です。男女が同じ教室にいても、そこに不平等が存在すれば公正ではないし、男女が一緒に過ごすことを生かしたジェンダー教育がなされていなければ「共学」は形だけで、「異性観を学ぶ」ことにはつながりません。当たり前ですが、要は学校がどんな教育方針でジェンダー問題と向き合うかが重要なのです。「男女を分けること自体が差別」という単純な考え方なら、全国の私立高校も共学にしなければいけませんね。

 

男子高を卒業した私も、女子高を卒業した私の長女も、別学という環境の中で、ジェンダー問題を軽視したことはありません。私の昭和時代は、少し怪しいところはありますが。

 

「高校生が、やがて大人になり社会に出れば、会社などの組織は、男女で構成されているんだから、学校だって男女共学がいいんじゃない」という意見もありますが、高校生活では、自分が社会に出ることをイメージできる教育は必要ですが、社会の縮図である必要はありません。別学でも、十分に社会に出る自分をイメージできます。

 

また、共学の方が「性差」をより意識する機会が多いので、将来の役に立つという考えもあります。これなど、大きなお世話で、共学の環境があるがゆえに、自分が「女である、男である」を常に過剰に意識させられる弊害も考えられます。男だから、女だからは、これからの時代には、無くなっていくことです。

 

埼玉県民の私は、今回のクレームに対応するには、「浦和高校(男子校)と浦和一女(女子校)」や「川越高校(男子校)と川越女子(女子校)」を合併して、東大などの難関大学への合格率が高い高校を作れば、解決できると考えますが、これも愚策ですね。

 

公立校、私立校問わず、共学校・男子校・女子校など、様々な学校があって、それを選ぶのが、子どもたち自身と保護者です。当然、選ばれる高校になるために、ジャンダー問題だけでなく、様々な教育方針が共感される高校になればいいだけの問題です。現在、私が住む埼玉県で起きている「男女共学問題」・・・ちょっと待った!ですね。