ゲーム 尊い命

昨夜は、北本自然観察公園に行き、ホタルの下見に行ってきました。ホタルゾーンに入ったばかりは、ホタルがチラホラと光を放っているだけですが、奥に行けば行くほど、幻想的な風景になっていきます。手をかざすと、私の手にホタルが止まりました。12日のナイトツアーも雨さえ降らなければ、多くのホタルが期待できそうです。そして、光ると言えば、今日の寺子屋では、「ヤコウタケ」という光るキノコを観察しました。年長男の子のママが持ってきてくれました。テントの中で教室を暗くして観察します。緑色に光るキノコに子どもたちは不思議顔で言葉を失います。私は、このキノコを小笠原諸島の父島で見たことがありました。小笠原では、「グリーンペペ」と呼ばれています。

 

さて、話題を変えて、今日は命の話です。戦争も長期化すると、ニュース映像に慣れてしまい、どこか人ごとのように感じている人も多いのではないでしょうか。今は、人が人に暴力を振る事件が常態化していること。そして、そのニュースを自分ごととして捉えることが難しいですね。

 

そんな時に、遊んでもらいたいゲームがあります。「尊い命」です。このゲームは、プレーヤーが拷問者となって、少女に拷問するとう内容です。プレーヤーは、少女を「つねる」「おどす」「ビンタ」で、肉体的・精神的に追い詰める一方で、「休けい」「やさしくする」で回復させられます。このアメとムチを使い分けながら少女を手なずけ、尋問をして情報を聞き出していきます。ただし、尋問の過程で体力をゼロにしてしまうと、「尊い命」が亡くなるのです。

 

一方で、ある要件をクリアすると少女を「逃がす」ことができます。でも、このゲームの目的は「逃がす」こととは明示されていません。要は、プレーヤーがどう受け止めるかで、ゲームの意味が変わってくるのです。ちなみに、少女を逃がすと、少女は最後に拷問者であるプレーヤーに笑顔を見せてくれるそうです。これを見て、何か良いことをした気分になる人も多いようですが、そこには、「都合の良い思い込み」があり、なぜ、拷問されるのが「少女」なのか、拷問者の性別によって、内容が変わるのか?などを考えると、単純なゲームですが、様々な思考が膨らみます。私もやってみましたが、何度やっても、少女を逃がすことができず、笑顔を見ることはできませんでした。

 

私たちは、暴力=悪という価値観の下に生きていますが、実際には暴力も戦争も絶えることはありません。このゲームは、自らの内なる暴力性を自覚するためのものでもあるようです。なかなか深いですね。