阪神甲子園球場100周年

今日は、卒園児の小学生が8人も集合しました。久々に会った同士、会話も弾みます。成績表を交換して、「あーだこーだ」言っています。そして、うれしかったのは、小5の男子が、保育園の卒園記念品の国語辞典をもってきました。それには、付箋がびっしりあります。1年ごとに付箋の色も変えていました。卒園式の時には、「この国語辞典を引いた文字に線を引いて真っ黒にしてください」と伝えたので、本当に感動しました。

 

昨日、プールが飛ばされてしまったので、屋根付きの新プールを導入しました。新しモノ好きの園児たちが、さっそく集まって遊びます。大プールも空気漏れがひどくなったので新調しました。たっぷりと水を入れて、小学生と年長園児で水しぶきです。

 

さて、阪神甲子園球場が8月1日に生誕100周年を迎えます。みなさんは、甲子園球場にどんな思い入れがありますか。日々、夏の甲子園大会への出場校が決まっていきます。私も、中学・高校時代に、甲子園のアルプススタンドで母校の応援をしました。中学の時は、試合途中で雷雨となり、びしょ濡れになりながら応援したものの再試合。高校の時は、蔦監督率いる名門池田高校に惜敗しました。今もしっかりと記憶に残っています。

 

夏の甲子園は8月にあることがミソです。旧盆があって、終戦記念日には「黙とう」を行いますね。その中で、テレビを観ている国民が平和をかみしめながら野球観戦をするのがいいのです。

 

甲子園球場は、戦争の影響をもちろん受けています。すでに戦時色が濃くなりつつあった1943年には、内野スタンドが金属提出によって取り外され、やがて球音が響かなくなります。グランドは、なんと芋畑になったのです。終戦後は米軍に接取されます。グランドに球音が戻ったのは1947年です。春夏の甲子園大会もプロ野球も再開されます。敗戦から再起する人々を勇気づけます。大学のアメリカンフットボールの「甲子園ボウル」も、この年からスタートしたそうです。

 

その後の高校野球は、私もうっすらと記憶しています。「怪物江川卓」の球の速いこと。「ドカベン香川伸行」はそのまんま漫画の世界でした。桑田・清原のKKコンビのPL高校からは、多くのプロ野球選手が排出されました。「ゴジラ松井の5打席連続敬遠」「松坂世代」「ハンカチ王子VSマー君」そして、大谷翔平も甲子園球児でした。

 

阪神タイガースの記憶では、やはり、バース・掛布・岡田のバックスクリーン3連発です。この年日本一になった阪神タイガースは、本当に強かったですね。

 

試合には関係ないですが、私のもう一つの思い出は「かちわり氷」です。ビニール袋にかち割った氷が入っているだけで、ストローでチューチューしてもよし。頭を冷やすのに使ってもよし。氷をガリガリ食べるのもよし。この甲子園名物を食べたことがありますか。

 

現在の甲子園球場は、電光掲示板ですが、手書き時代の選手名のボードも記憶に残りますね。まだまだ、あげればきりがありませんが、みなさんにとっての「阪神甲子園球場」は、どんな思い出が詰まっていますか。